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青森地方裁判所 昭和60年(人)3号 判決 1985年10月31日

請求者 甲野花子

右代理人弁護士 石田恒久

被拘束者 甲野花代

右代理人弁護士 金沢早苗

拘束者 甲野松太郎

〈ほか一名〉

右拘束者両名代理人弁護士 小野允雄

主文

一  請求者の拘束者甲野松太郎、同甲野松子に対する請求を棄却する。

二  被拘束者を右拘束者両名に引渡す。

三  本件手続費用は請求者の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求者

1  被拘束者を釈放し、請求者に引渡す。

2  本件手続費用は拘束者らの負担とする。

との判決。

二  拘束者ら

主文と同旨の判決。

第二当事者の主張

一  請求の理由

1  請求者は、昭和五一年一一月ころ漁師であった甲野太郎(以下、「太郎」という。)と知り合い、同五二年四月八日婚姻の届出を了し、婚姻後一時北海道目梨郡羅臼町や青森県西津軽郡深浦町で暮らした後、同五三年三月から同県同郡《番地省略》で生活し、同年七月二九日唯一の子である長女の被拘束者を儲けた。なお太郎は毎年半年位は北海道や長野県に出稼ぎし、生活費を仕送りしていた。

2  請求者は、短気かつ粗暴な性格の太郎に婚姻当初から些細なことで暴力を振われることが再三あり、日頃びくびくした生活を強いられていたところ、同五九年六月二五日の朝食時、些細なことに怒り出した太郎から夏枕を投げつけられたため、同人との婚姻生活の我慢も限界にきて離婚を決意し、同日被拘束者を連れ請求者の実家である肩書住居地の乙山梅子方に身を寄せて太郎と別居し、右乙山方で平穏な生活を送っていた。

3  ところが、太郎は、同年九月一〇日突如右乙山方に来て部屋に上り、被拘束者を認めるやいきなり同児を抱き上げて奪取し、泣き叫ぶ同児を横抱きにして連れ去り、その後太郎の父母である拘束者甲野松太郎(以下、「拘束者松太郎」という。)、同甲野松子(以下、「拘束者松子」という。)に被拘束者を預け、以来拘束者らが肩書住居地で被拘束者を監護養育し拘束している。

4  請求者は、同月下旬ころ、太郎を相手方として、離婚及び被拘束者の親権者を請求者とすることを求める夫婦関係調整の調停を青森家庭裁判所鰺ヶ沢支部に申立てたが(同庁昭和五九年(家イ)第三二号)、右調停は同年一〇月一五日不成立に終った。

5(一)  そもそも両親別居の場合、母親が幼児の監護養育に当るのが自然であるところ、もともと被拘束者は請求者になついていたし、別居後も乙山方で平穏な生活をしていた。更に、同人方では年金を得ている母乙山梅子、祖母乙山タケ並びに乙月農業協同組合に勤務する独身の姉乙山春子(以下「姉春子」という。)が生活しているが、請求者らを暖かく迎え入れていてその援助も受けられるうえ、請求者も自宅でできる裁縫の内職仕事が見つかっており、被拘束者を手許において監護養育するのに支障はない。

(二) 他方、被拘束者は拘束者らに監護養育され、父母いずれとも離れ離れの生活を余儀なくされているもので、それ自体請求者の許で生活するのに比し格段に不幸であるし、もともと太郎は別居前でも被拘束者に対し父親としての愛情を示したことがないばかりか粗暴な言動をし、被拘束者もなついていなかったうえ、拘束者らの生活をみても、拘束者松太郎は一年の大半を出稼ぎし、同松子は農作業に追われている状態で監護養育の適格に欠けるばかりでなく、経済的にも格別拘束者らが請求者側より勝れているともいえない。

6  以上のとおり、拘束者らは被拘束者を違法に拘束しているので、人身保護法に基づき被拘束者の釈放と請求者への引渡しを求める。

7  拘束者らの主張は争う。

二  請求の理由に対する認否と主張

1  請求の理由1項の事実は認める。

2  同2項の事実中、昭和五九年六月二五日の朝食時に請求者と太郎との間に口論があり、太郎が夏枕を投げたため、これを契機に請求者が被拘束者を連れて自宅を出、肩書住居地の実家の乙山方に身を寄せ別居していたことは認めるが、その余は否認する。

太郎が請求者を直接殴ったのは一回だけであり、物を投げたと取り立てていえるのも二回程度で、それも結婚三年目ころから請求者が太郎に余り愛情を示さなくなり、被拘束者を同人に近付けまいとすることから太郎も悩み、請求者と口論したためである。また前記朝食時口論したのは、請求者が、他に副食物もあるのに被拘束者に米飯と味噌汁しか出さなかったのを注意したためである。なお、太郎としては同日請求者が実家に帰った際、そのまま別居状態が継続することになるとは思っていなかったもので、請求者も太郎と談合を尽くしたうえ被拘束者を連れ帰ったものではない。その後太郎は乙山方を尋ねるなどして再三戻ってくれるよう頼んだが、請求者が応じなかったものである。

3  同3項の事実中、同年九月一〇日太郎が請求者の意に反しその許から被拘束者を連れ帰って両親である拘束者両名に預け、以来拘束者両名が肩書住居地で被拘束者を監護養育していることは認めるが、その余は知らない。なお、太郎及び近所に住む同人の妹丙川秋子(以下、「秋子」という。)も被拘束者の監護養育に当っている。

4  同4項の事実は認める。

5  同5項の事実中

(一) (一)のうち、乙山方で請求者の母、祖母、姉春子が同居していること、姉春子が主張の協同組合に勤務していることは認めるが、その余は知らない。

(二) (二)のうち、拘束者松太郎が出稼ぎし、同松子が農作業に従事していることは認めるが、その余は否認する。

太郎も被拘束者を大変可愛がっていたことは他の父親と同様であり、殊更被拘束者に粗暴な言動をしたこともない。また、拘束者松子は農作業に従事しているが、農繁期でもこれといった仕事もしておらず、親戚の人々も手伝ってくれるので被拘束者を監護養育する時間に不足することはない。

6  (主張)

(一) 請求者は非常に勝気で感情の起伏も激しくヒステリックなところがあり、被拘束者を非常に可愛がる反面怒る時は感情的になる。また自身外出を嫌い、被拘束者を手許にだけ置き、付近の子供とも一緒に遊ばせないようにしており、幼児期の情操教育をさせるには不適当である。他方、拘束者らは温和な性格であり、なお太郎もどちらかといえばのんびりした性格で、家族関係も円満かつ安定している。

(二) 拘束者両名が被拘束者を監護養育しているほか、太郎も被拘束者を連れて来た後近くの戊田村で漁業をし、その間も殆ど拘束者両名方に帰り被拘束者との接触を保ち、同六〇年四月八日からは地元甲田村の乙田漁業部に勤務し、拘束者両名宅に同居しており、三名共々被拘束者を慈しんで養育に当っており、被拘束者も拘束者らになついている。

(三) 請求者側は主として姉春子の年間三〇〇万円余の収入で被拘束者を含め五人が生活しなければならず、その他に請求者の内職収入があるとしても僅少であり、経済的に安定しないのに対し、拘束者松太郎は五〇〇万円以上の年収があり、他に同松子が全面積の約四分の一程度耕作している畑から自給自足程度の作物もとれるうえ、太郎も相当程度の収入があり、経済面でも安定している。

(四) 被拘束者は拘束者両名宅に来てから保育所に通い、同六〇年四月からは村立丙田小学校に通学しており、友達も多くでき、秋子の子らとも親しく、既に同所や学校での生活にも馴染み、それなりに自己の世界を作り、快活で明るい生活を送りのびのび育っており、健康状態も良好で、情緒的にも安定している。

以上のとおり、被拘束者は拘束者らから福祉に反する取扱いを受けているとは到底いえず、被拘束者の生活、情緒も安定しており、請求者の許にいる場合に比し環境的にも恵まれているので、拘束者らの拘束が違法とはいえないし、最終的に請求者と太郎の離婚問題が解決するまでの間、暫定的措置を決める本件において被拘束者の監護の現状を変更することは著しく被拘束者の利益に反するものというべきである。

第三疎明関係《省略》

理由

一  拘束の存在

請求の理由1項の事実、及び請求者は昭和五九年六月二五日の朝食時太郎と口論し、夏枕を投げられたことを契機に被拘束者を連れて自宅を出、自己の実家である肩書住居地の乙山方に身を寄せ、以来太郎と別居していたこと、同年九月一〇日太郎が請求者の意に反しその許から被拘束者を連れ帰り、太郎の両親である拘束者両名に被拘束者を預け、以来拘束者両名が肩書住居地で被拘束者を監護養育していることは当事者間に争いがない。

右事実によれば、被拘束者は現在七年三か月の意思能力のない幼児であることから、これを監護する行為は当然にその者の身体の自由を制限する行為をも伴うものであり、被拘束者を監護している拘束者両名の所為は人身保護法及び同規則にいう拘束に当るというべきである。

二  本件拘束の経緯と拘束者両名の地位

前記争いのない事実のほか、請求の理由4項の事実及び乙山方では請求者の母、祖母、姉春子が同居していることは当事者間に争いがなく、このことに《証拠省略》によれば、次の事実が一応認められ(る。)《証拠判断省略》

(1)  太郎は前認定のとおりの婚姻生活を送り、戊田村で生活するようになってから一度長野県に出稼ぎしたほかは、毎年四月ころから一一月ころにかけ漁のため北海道に出稼ぎする生活を送っていたが、もともと言葉使いが荒く、やや短気なところがあり、他方請求者もやや勝気で感情的になり易い面があり、殊に昭和五四年のお盆休みに出稼ぎ先から帰省した太郎から性交渉を求められたのにこれに応じなかったことで殴打されたことがあるなど、その前後ころから太郎に不満を感じて同人を遠ざけるようになり、太郎もまたこれを不審に思い、口論の挙句物を投げたりしたため、夫婦仲は益々不和となり、同五八年夏ころ以降性交渉も殆ど絶える状態となっていた。そうした折である同五九年六月二五日の朝食時、太郎が請求者に対し被拘束者の副食物について注意したことから口論となり、夏枕を投げたことから請求者も立腹して太郎との離別を決意し、戻らない旨告げたうえ被拘束者を連れて家を出、前記乙山方に身を寄せ、爾来同居の母、祖母、姉春子の援助を受けながら被拘束者を監護し、平穏に生活していた。この間、このまま別居状態が継続すると思わず、また離婚の意思もなかった太郎は、拘束者両名などと三回にわたって乙山方を訪れ、請求者に戻って欲しい旨求めたが、請求者はこれに応じなかった。

(2)  請求者に戻る意思のないことを知った太郎は、同年九月一〇日、予告もなく乙山方を訪れて部屋に上り、請求者に戻ることを求め、その時姿を現わした被拘束者を認めるやこれを抱きかかえ、阻止しようとする請求者を払いのけ、泣き出した被拘束者を片手で横抱きにして表に止めてあった乗用車に乗せて連れ去り、同日自己の両親である拘束者両名に被拘束者を預けてその監護を委ね、以後拘束者両名、特に拘束者松子が中心となり肩書住居地で被拘束者を監護している。

(3)  その後請求者が太郎を相手方として調停申立をなしたが不成立に終ったことは請求者の請求の理由4項のとおりである。そして、請求者は、同六〇年二月五日拘束者両名及び太郎を相手方とし被拘束者の釈放と引渡を求めて本件請求をなしたが、本件差戻前の青森地方裁判所の判決では太郎に対する請求は認められたものの、拘束者両名に対する請求は棄却され、右判決に対し上告申立をなしたところ、本件差戻判決により敗訴部分が破棄され、拘束者両名に対する請求にかかる部分につき当裁判所に差し戻された。

(4)  また、請求者は、本件申立時までに拘束者らに対し、電話で被拘束者を返すよう求め、あるいは電話口に出してくれるよう求めたが、太郎の指示もあって、拘束者らはこれに応じなかった。

(5)  なお、太郎は一時出稼ぎをした後、同六〇年三月から青森県北津軽郡《番地省略》で丁原夏夫の漁夫として働くようになったが、同年四月八日からは同県西津軽郡《番地省略》の乙田漁業部に漁夫の職を得、拘束者両名宅に同居しながら稼働しており、同人も被拘束者の監護に当っている。

以上認定の事実によれば、請求者と太郎の夫婦関係が破綻に頻していることは明らかであり、また拘束者両名の本件拘束は、その当初においてはもとより、太郎が同居している現在においても、共同親権者である太郎の委託に基づくものと解するのが相当である。従って、本件請求の当否の判断は、本件差戻判決の指摘のとおり、被拘束者の現在の拘束状態が実質的に不当か否かを、共同親権者の一方から他方への人身保護請求の場合に準じ、請求者と太郎から委託を受けた者としての拘束者両名のいずれに監護させることが被拘束者の幸福に適するかを主眼として決すべきものである。

三  本件拘束の違法性ないし顕著性

1  前記争いのない事実のほか、請求者の姉春子が乙月農業協同組合に勤務していること、拘束者松太郎が出稼ぎし、同松子が農作業に従事していることも当事者間に争いがなく、これに《証拠省略》によれば、次の事実が一応認められ、他にこれを左右する疎明資料はない。

(一)  別居前の状況

前認定のとおり、請求者・太郎の夫婦関係は徐々に不和となっていったが、共に被拘束者に対する愛情には変りはなく、被拘束者も健康に成長していたが、太郎は出稼ぎ期間が長いことなどもあり、被拘束者の監護は主に請求者が当り、被拘束者も請求者によくなついていた。また請求者は実家の乙山方で被拘束者を出産し、太郎の出稼ぎ中や幼稚園の休暇等にも乙山方で過ごすことが非常に多く、他方拘束者両名方への出入りは余りなかったため、被拘束者も請求者の母や姉春子らによくなついていた。

(二)  請求者側の事情

(1) 請求者は別居以来乙山方で生活し、当面同人方で生活する予定であり、同六〇年二月から同人方で裁縫の内職仕事をし月間約五万円の収入を得ている。

(2) 同人方では同年二月祖母が死亡し、母と姉春子が同居しており、母は年約三六万円の年金を得ているほか、自宅敷地約一二〇〇平方メートルの約半分を畑とし、自給程度の蔬菜類を作っており、姉春子は乙月農業協同組合に勤務し年間約三一〇万余円の給料収入を得ているが、いずれも物心両面で請求者らを支援する態勢にあるほか、弘前市在住の姉桜子、東京在住の姉桃子も経済的援助を申し出ている。

(3) 乙山方は持家で請求者らが同居する余裕はあるが、建物の一部が母所有となっているほかは、敷地・建物共死亡した祖母の所有となっている。

(4) 請求者は、別居前には被拘束者を自宅近くの幼稚園に通わせていたが、別居後太郎に連れ去られるまでは夫婦間の問題解決の目処がつくまでということで幼稚園等に通わすことを見合わせており、この間被拘束者は近所に同じ年頃の子供もいないため友達もなく、乙山方ないしその周辺で請求者やその母らを相手に遊んでいた。

(5) 請求者はもとより、同居の母、姉春子も被拘束者に愛情を抱いており、請求者の許で監護したいとの強い希望を有し、拘束者らの監護養育を危惧している。なお、請求者には太郎と夫婦生活をやり直す意思はない。

(三)  拘束者側の事情

(1) 拘束者両名は古くから肩書住居地で居住し、その間に太郎を含む二男四女を儲けたが、子らはいずれも結婚して独立し、現在は被拘束者のほか前記のとおり太郎が同居し、三名で被拘束者の監護に当っている。なお近所に住む太郎の妹秋子もこれに協力している。

(2) 現在拘束者松太郎は六四歳、同松子は六五歳であるが健康上問題はなく、同松太郎は毎年四月から一一月ころまでは船頭としてさけ漁のため北海道へ出稼ぎし、一二月から翌年三月までは自宅にいて近くの海での漁業に従事し少くも五〇〇万円以上の年収を得、同松子は親戚の応援も得て田一反七畝歩と畑二反五畝歩を耕作し(但し、畑については上記の四分の一)、蔬菜類等を自給自足しており、太郎も前記乙田漁業部に勤め約一四万五〇〇〇円の月収を得ている。

なお、拘束者松子は農作業に従事しているが被拘束者の監護に支障はなく、また太郎も同六〇年四月八日以降毎日午前七時ころ出勤し午後六時前後に帰宅する生活をしており、被拘束者と接触する余裕があり、また努めて接触するよう心掛けている。

(3) 拘束者らは前記農地を所有しているほかその家も持家であり、将来太郎の弟二郎が継ぐことが予定されていたが、同人が札幌に生活の本拠を築いているため、太郎に継がせることも考慮されており、同人も引続き拘束者両名宅で生活する予定であり、そのことに支障はない。

(4) 太郎はもとより拘束者両名も被拘束者に対し愛情をもって接しており、被拘束者も肩書住居地に来てから太郎、拘束者両名に良くなついており、その関係は良好である。

なお、太郎は被拘束者のためにも請求者に戻ってもらい夫婦生活をやり直したい意向を有し、拘束者両名も同様であるが、それが叶わぬ場合は拘束者らが監護してゆく決意でいる。

(5) 被拘束者は、同五九年一〇月から保育所に通っていたが、肩書住居地の近くには同じ年頃の子供も多く友達もでき、また従姉妹にあたる秋子の娘三名(現在中学校一年、小学校四年、同一年)とも親しみ、明るく活発な生活を送り、同六〇年四月から村立甲田小学校に通学しているが、右の状態は同様維持され、学校での友達もでき、学校生活にも良く親しんでいて、成績面でも問題はなく、健康状態も良好で一学期中欠席はなく、情操面も安定している。

2  以上三の1において認定した各事実に前記二において認定した事実を併せ考察すると、請求者は実母として、拘束者両名は祖父母でかつ実父である太郎から委託を受けたものとして、いずれも被拘束者に対する愛情とその幸福を願う点に差異はなく、共に自らの許で被拘束者を監護する熱意を有しており、この点請求者の母、姉春子、また太郎も同様である。また、経済的には拘束者両名の方が請求者に比し安定しており、請求者に若干の不安はあるが、請求者も生計が困難という訳ではなく、すくなくとも請求者が監護することに支障を来たす程ではない。そして、もともと被拘束者は請求者になつき、またその母や姉春子にもなついていたことを考慮すると、請求者にやや感情的になり易い面があるとしても監護者として不適当とする理由もない。しかしながら、被拘束者は同様太郎及び拘束者両名にも現在では良くなついており、拘束者両名が監護者として不適当とする点も同様見出し難く、監護状況にも格別の問題はない。そのうえ被拘束者は実父とはいえ実母の許からその目前で実力で奪取されるという異常かつ深刻な体験をし、情操上多大の悪影響を受けたであろうことは容易に推認されるに拘らず、拘束者両名、更には太郎らの愛情と努力により、更には被拘束者自身家庭内だけでなく、父母の争いと離れた保育所、学校、友達等に新しい生活空間を得て自己の世界を形成し、併せて一年一か月という時間的経過も経て、右悪影響からも一応脱し、既に拘束者両名の許での生活によくなじみ、心身共にそれなりに安定した生活を送っているものと認められる。これに対し、被拘束者が請求者の許に引き取られる場合は転校を余儀なくされ、新しい学校、先生になじみ、友達も新たに作る必要があるばかりでなく、乙山方の近所には同じ年頃の子供がいない生活環境を考慮すると、被拘束者に多大の負担を強いることになる虞も否定し難い実情にある。従って将来の親権者、監護者がいずれになるのか不確定な現段階において、前記のとおり安定している被拘束者の現状を変更することは、却ってその心身の安定した成長を妨げ、福祉に反する結果となる虞があるといわざるをえない。このように、拘束者両名の監護の現状は、被拘束者の幸福に合致しない不当なものとはいえず、これをもって人身保護法及び同規則にいう拘束が違法になされていることが顕著な場合にあたるとはいえない。もとより、理不尽な実力行使により被拘束者を奪取した太郎の行為それ自体は強く非難されるべきものであり、また請求者が監護者として不適格という訳でもないにもかかわらず、右奪取が容認されたに等しい結果となることに対する請求者の心情は理解できないわけではないが、本件請求の当否は先に指摘のとおり、奪取行為の当不当ではなく、被拘束者の幸福を主眼として決すべきものであり、かつまた被拘束者を最終的にいずれが監護すべきかは当事者間の協議や今後予想される離婚訴訟等の手続において慎重に判断されるべきものであって、人身保護法に基づく救済は子の幸福を主眼に、それまでの間の暫定的な措置を定めるものであるから、右の結論もまた止むをえないところである。

四  結論

よって、本件請求は理由がないから棄却することとし、人身保護法一六条一項によって被拘束者を拘束者らに引渡し、本件手続費用の負担につき同法一七条、同規則四六条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 近藤暁 裁判官 栗原宏武 田中亮一)

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